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浅野昌昭君を偲んで

去る1月21日、当院副院長の浅野昌昭君が約2年間の闘病生活の後、52歳の若さで

この世を去りました。

浅野君との出会いは私が宮崎大学の3年生、彼が1年生でした。

大学近くの彼のアパート窓がいつも開いており、不思議に思って彼に尋ねたのが最初でした。

「浅野君、君のアパートはいつも窓やドアが開けっ放しで色々な友人が出入りしているけれど不用心ではないのか?大丈夫なのか?」と聞いたところ

「親が宮崎に来たことを怒って仕送りが無いので、部屋には盗られるものがありませんよ!」と、長崎の佐世保出身という彼は笑いながら答えてくれました。

なんでも彼は、防衛大学校と他の国立大学の理工学部に合格していたのですが(当時国立は前期後期ダブル合格が可能でした)、それらを辞退して宮崎大に来たことで親御さんが怒り呆れてしまい仕送りをして貰えなかったそうです。彼の家庭環境を聞くと私と同じ母一人、子一人の母子家庭だということ。親御さんとしては6年も大学に通わせる経済的余裕が無いので、てっきり4年生の大学又は防衛大に進学するものだと思っていたそうです。そんな環境でしたが、優秀だった彼は授業料免除と奨学金を得て卒業できたのです。

その後、当時付き合っていた私の妻を含む何人かのグループでテニス(私はどこまでも下手でしたが)、キャンプ、鍋パーティ等よく遊んだ記憶があります。宮崎で私たち夫婦が結婚式を挙げた時も彼は手伝ってくれました。

私は大学を卒業後紆余曲折がありながらも開業、彼は卒業後教授推薦でファイザー製薬の研究所に就職し暫くは交流がありませんでした。

私が平成6年3月に開業したその9ヶ月後、上京しているからと私の病院に彼が遊びに来たのです。その時彼はファイザー製薬を退職して国家公務員一種試験を受験し厚生労働省に採用が決定したところでした。ファイザーを辞めてキャリア官僚になるのか?と聞くと何だか浮かない顔をしているのです。受験して採用通知はもらったものの何となく行く気がせず、臨床にも興味があるとの事だったのです。私も丁度忙しくなり始めた頃でしたので、じゃあうちに来たら?と誘いそのまま25年間当院で尽力してくれることになったのでした。彼の人生に於いて私が一番長い時間を共に過ごしたのではないでしょうか。

私にとって彼は大事な右腕、親友、弟でした。後輩獣医師たちにも優しく時には厳しく指導をしてくれ、患者さん達からも慕われ信頼される獣医師でした。思うに臨床獣医師が彼の天職だったのでしょう。

また、私の家族にとっても彼は家族の一員。仕事の後は我が家で食事をしていたので、私の3人の娘達も彼によく懐いておりました。仕事で疲れていても娘たちが遊ぼうと言うと肩車をしてくれたり、パズルやキャッチボールをしてくれました。身体は大きくいつも穏やかで優しい人でした。そして人をさり気なく褒めるのも上手でした。

マメでない故か独身生活が長かったのですが、45歳の時にテニスで知り合ったとても綺麗な奥さんと結婚。その後浅野君そっくりの男の子が生まれ幸せそうでした。

そんな順風満帆な人生を送っていたのですが、2年前の正月明けのことでした。腹痛が酷いと病院に行ったところ大腸癌が見つかったのです。お子さんは当時3歳でした。どれほど悲しくて辛かったことか。彼の気持ちを考えると胸が張り裂けそうでした。

一時期は彼も相当落ち込んでいたのですが、家族の為に一日でも長く頑張ろうと抗癌剤、手術と懸命に病気と闘っておりました。仕事人間でもあったので、診察に携わる事は今まで通りには出来ないまでも、可能な限りは働きたいと治療しながら昨年10月頃までは勤務しておりました。

昨年12月いよいよ抗癌剤が効かなくなり緩和ケアへの移行を促されました。その直後に病状が悪化しコロナの感染が発覚。頑張ってコロナからは回復したのですが、肺の病変が改善せず1月21日に永眠しました。

奥さんと幼い子供を残して逝くのはどんなに心残りだったことか。ですが、棺の中の彼は病の苦しみから解放され穏やかな表情でした。名前を呼んだら「あ、お疲れ様です」ととぼけた顔をして起きるのでは思えるほどでした。

コロナ禍のため小さな葬儀場で執り行われた通夜でしたが、訃報を聞いて遠方からも沢山の友人が駆け付けてくれました。そして私たち家族は告別式にも参列させて頂き、彼を最後まで見送ることが出来ました。

飼い主さんからもたくさん彼を惜しむお言葉を頂きました。本当にありがとうございました。彼に代わり御礼申し上げます。

「とても良い人」そう皆が口を揃えて彼を評します。嘘が無く自分の事より人の事を優先するような人でした。本当に惜しい人を失いました。当然悲しく悔しいのですが、

私に届いた彼からの最後のメッセージ

『私は幸せでした』

その言葉を思い返す事で私自身救われています。

最後に浅野君へ

『浅野!俺がそっちに行った時に真っ先に案内してくれよ!必ず又会おうな!本当に心からありがとう!!』

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1 ความคิดเห็น


岡 雄一
岡 雄一
20 เม.ย. 2566

浅野君とは幼なじみで、家が隣だったこともあり、昔はよく遊んでいました。

お互い社会人になってからは、年賀状のやり取りだけになってしまい、今年は年賀状こなかったなぁ・・・と思っていたところでした。まさかそんな大変なことになっていたとは知らず、残念でなりません。

大人になってからの様子が、先生のブログを読んでよくわかりました。最後の様子も読みながら涙が止まりませんでした。でもお知らせいただいたことに感謝いたします。

浅野君のご冥福をお祈りいたします。


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